言葉をはっきり発するようになった。
体験前よりも言葉をはっきりと丁寧に発するようになったと思います。
人前で話す際にも、相手が聞きやすいように、間の入れ方がうまくなりました。
本人が自分で物語を読むようになりました。
息子は本を読む事、書く事が苦手ですが、音読は楽しく親子で練習出来ました。(少しずつでしたが)
今では、軽い物語で気に入ったものは自分で読んでいます。
カタカムナ音読をきっかけに新しい学びに出会えた。
松永先生のカタカムナ音読法は単体で存在するのではなく、「学びとは何か」という深い問いから生まれた、学び合いの総合的な体系のひとつだと思います。
当時小学生だった息子は、カタカムナをきっかけに次々と新しい学びに出会い、知的な想像力を広げていくことに夢中になりました。
それは彼にとって、都度新しい世界の扉が開けていく感覚だったのではないかと思います。
松永先生の道場でのさまざまな人や価値観との出会いも、大人になった彼が今、自分の眼、耳、頭、心で判断し、自らの道を見定めていこうという意思に、たしかに結びついていると思います。
自分がどう生きるか、どのように世界と繋がっていくか。それを考える場を用意してくれるのが松永先生の道場であり、カタカムナ音読法はその扉の一つだと思います。
堂々と発言し、物語も書くし、新書も読むようになった。
幼稚園年長の時から3年間、松永先生の親子向けカタカムナ音読講座に通いました。
娘は物静かなタイプですが、学校で発表する場面になると、自分の考えを頭の中で整理し分かりやすいよう文章化して、聞き取りやすい発声で堂々と発表しているようです。
学校で委員、イベントの係などを決めるとき、前に出て意気込みを述べ多数決で決めるのですが、娘は意気込みを述べるのが得意で、これまでやりたいものをすべて勝ち取ってきました。
中学校の入学式では新入生代表に選ばれて、誓いの言葉を述べました。娘が発表するのが得意になったのは、幼いころからカタカムナ音読に慣れ親しんでいたからだと思います。
カタカムナ音読講座では作文を発表する場もあったのですが、幼稚園生だった娘も小学生のお兄さん、お姉さんに交じって参加していました。講座終了後も書くことが大好きで、時間があるときによく物語を書いています。本もよく読んでいます。
小説が一番好きですが、新書を読む機会も増えてきました。中学生になってから、リベラルアーツ(岩波文庫通読する松永先生のグループレッスン)にも通っています。色々なことに興味が広がってきて、これからの成長が楽しみです。
読み間違いが減った。
先生が横について一対一で訂正してもらいながら音読をしました。体験する前は、簡単な文も読み間違いだったり勘違いしてしまうことがあったけれど、体験した後だと文を理解する力が付いて勘違いすることが減った。少し読めるようになると苦手な英語にも変化が現れた。また、自分で話をするときに相手に伝わるように話せるようになった。
英語の発音にもこだわるようになった。
一音一音意識して読むことが習慣化され、古文の音読のみならず、英語の発音もこだわれるようになった。
また、一つ一つにこだわるという姿勢は、字を書くときにも変化をもたらし、より綺麗な字が書けるようになった。
滑舌が10倍良くなった
体験する前は滑舌が悪く、うまく人前で話せなかったが、体験している今では前の100倍滑舌が良くなり、話すのに自信が持てたこともあり社交的になりました。
文字を読むことが億劫でなくなった。
私は小学4年の頃に音読を習い始めました。
文字を読むことがまったく億劫でなくなったことが音読を通った後の大きな変化でしょう。カタカムナから始まる古典を音読することで、難しい文章も声に出せば理解できると思えるようになりました。
一読して何が書いてあるのか分からなければその箇所を何度も音読してみればいいのです。
どんな日本語も読めると思えることは大きな自信になりました。
さらに言えば、音読の習慣は外国語学習にも役立ちます。
中学から始まる英語学習でも「とりあえず音読してみる習慣」に大いに助けられました。
音読は発音練習だけでなく長文読解にも効果的だと思います。