子供たちと一緒に学ぶ時間はとても豊かで幸せに感じました。
音読指導者養成講座の聴講生コースを子どもと受講しました。その中で子供たちの面白かった反応を一つずつご紹介したいと思います。
下の息子は音読に素直についてきてくれました。少しずつ憶えていますが、意味まではあまり伝えず、音に触れてとにかく楽しみました。
その頃ハマっていた枕草子の漫画の話をする娘に、「夏はどんなことが書いてあるの?」と聞きました。言いよどむ姉のそばで、「あのね、夏は夜がいいんだよ。蛍が何匹かふわーふわっと飛んで行くのがいいんだよね」と四歳の弟が答えました。ただリズムを楽しんでいた音読だったのに、言葉の響きだけで確かにイメージを頭に描いていて、美しく理解していたことにとても驚きました。
娘は思春期に片足をいれたところで、何かと衝突することが多くなり、音読に誘ってもカタカムナにもうんざりされていました。なかなか難しいと思っていた頃、たまたまフォローアップクラスで他の方が練習されていた『にごりえ』を傍でじっと聞いていて、私もやりたいと言い出しました。初級のいろいろをすっ飛ばして、樋口一葉の語感にぶつかり稽古するようにひたすら『にごりえ』音読していました。
ある日、ふたりで買い物をしていると小声で「ねえねえ、高ちゃんがいるよ」と可笑しそうに娘がいうのです。見ると、少し個性的なお化粧をされている三〇代くらいの方がいました。子供が人の見た目を茶化すもんじゃないよ、と諭しながらも、物語の中の高ちゃんをイメージし、それを普段の生活の中で遊ぶように使っていることに感心する自分もいました。それからも私が少しツノを出したときなど「お母さん、だいぶ御述懐だね」とにごりえワードを使いこなしています。
私も養成講座から樋口一葉のあの小気味よく走るリズムに魅了され、岩波文庫を買って読みましたが、音読をしていな部分はこんなに読みにくいのかと痛感しました。が、逆に音読しているだけで、これほど絵として浮かび、生き生きとした日本語が頭に入ってくる喜びを実感致しました。
まだまだ子育てのことで悩む日々ですし、音読もサイコロも発展途上の私たちですが、子供たちと一緒に学ぶ時間はとても豊かで幸せに感じました。
こんなに子供の能力が開花するのであれば、私自身も学んでみたい
松永先生の「親子の古典音読」の本に一番初めに出合ったのは、3人の子供たちがまだ幼く小学生だった頃です。その頃は、触れたことのある万葉集、古事記を気が向いたときに音読する程度でした。
しかし、そのようなゆるい実践の中、変化が訪れたのは、一番下の女の子でした。万葉集って何?古事記とは?出来る範囲の説明は、するものの…関心があるのならと子供向けに書かれた万葉集を渡したのが更なる成長の礎となっています。あれから2年の歳月を経て関心は、万葉集より枝葉のように伸び、分かれて、すくすくと成長をしています。見守りながら、子育てがこんなに楽しく幸せなことないと松永先生に感謝する日々です。
こんなに音読によって、子供の能力が開花するのであれば、私自身も学んでみたいと養成講座を受講しました。
学んでみて思うことは、本を読んで自己流で理解、解釈することとは、全く違うということです。文章の時代背景はもちろん、その時代の文化、思想、生活、信仰、災害から、作者、登場人物の境遇、人となり、人間関係、取り巻く自然環境など、歴史に残る銘文の奥の奥、表現細部に宿る膨大な情報を今までの人生でこんなに意識したことがあっただろうかと思います。学ばせていただいた4か月間は、かけがえのない宝物のような学びの時間となりました。